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僕の撮影スタイルとワークショップのありかた

今回は僕の撮影スタイルとワークショップやメンバーシップなどのクローズドコンテンツをやり続けていることについて話そうと思う。


自然風景という括りの中で撮影スタイルというと色々あると思う。海とか山とか星とか。僕は森とかに入って撮影するスタイルが好き。でも最近感じるのはその中でももっとジャンルが分かれるているということ。でもそれをなんと言って名称づけるかはわからない。僕の撮影は珍しい条件や光景、瞬間を視覚効果を使いながら魅せるために撮影するスタイルに近い。そして撮影や自然の空気を楽しむというよりかは撮影したデータを形にするためのデータ回収に近く、撮影時の感情よりもその後の処理の方に重きを置いている。最初からこういった思考だったわけではなくてカメラを始めたての頃は撮影が楽しくて、森の中の空気を吸って楽しんでいた。この考えの根本にあるのが世界中の写真を見始めてから。どの作品を見ても綺麗でなんでこんな風に"撮れる"んだろうと思っていた。同じような条件で同じような森で撮影しても同じようにはならなかった。でも同じように"撮る"だけではだめだった。レタッチでちゃんとした工程を踏んで自分が意図したように編集しないと同じようにはならなかった。ある時初めて個展をした。その時に写真は撮ってレタッチして形にして飾ると言う素晴らしさを覚えた。それ以来、写真は飾るまでが本当の完成なんだと信じて撮り続けた。実際に家にも自分の写真や他の人の写真も飾っていて、どの部屋にはどういう写真が合うんだろうと考えたりするのが楽しくて色味やその時々の季節で気分を変えたりしている。この飾るという行為から逆算していくと最終地点が僕の撮影スタイルになっていった。作品に対しての植物の感情や自然環境的な面の話は置いておいて、とにかく飾って心地いい風景だったりをとにかく集めたい、飾りたい。そういったある意味自分本位な感情の方が強い気がする。だから簡単に言ってしまえばかっこいい風景、言葉を崩せばまじやっべーっていう風景を常に狙っているんだと思う。お前はそんな浅はかな気持ちで撮影してたのかって誤解されないように言い訳すると植生や植物の名前なんて森と向き合ってれば嫌でも覚えるし、後付けでもいいから普段から作品に対してバックグラウンドやキャプションなんかをつけているといざ撮影する瞬間になるとその光景に対して始めから植物の感情みたいなものはなんとなく感じるようになってくるものである。あまり上から目線になるのは嫌だけど本当にこうなってくる。でも僕の重きはまじやっべーっていう風景を撮影することだけど何も考えていないわけではないということだけ言い訳させてほしい。


じゃあそのまじやっべー風景をカメラで捉えることができたらどうするか。自分の好きな質感にして完成させないといけない。僕の好きな写真家はほぼ海外に住んでいる。みんなまじやっべーからレタッチの技術は全て英語で学んだ。当時はそんな技術が載っている記事や動画は日本にほとんどなくて知りたい分野を英語にして検索をかけていた。説明も全て英語でなんで日本にないんだよってむかついたりもした。こういう面で世界とのレベルの差も感じたりもした。

風景的な面でも最初の頃は海外はすごいんだなー、日本には絶対ないような風景がたくさんあるんだなーと思っていた。でもこれは大きな間違いで、日本の風景は世界と同等レベルだし、もしかしたらそれ以上かもしれない。これは色々と知識をつけ始めてたくさん写真を撮ってから気づいた。日本じゃ撮れないものばっかりだと思ってたのは自分の視点が浅かったから。色んなものをインプットしてそれらを日本でも見つけられるくらいには自分の目が肥えたと思う。


こうしていくうちに色々と実績もつくようになっていった。ほんの少しだけ海外からも認められる出来事が増えていった。この時「なんだ、日本もやれんじゃん」と思った。知識を得られるような記事や教える人材がいないから(いたのかもしれないけど)僕はこうやってたくさん時間をかけて憧れだったレベルまで少しだけ手が届いた。無理じゃなかったんだと。だからワークショップも始めた。


よくワークショップで「包み隠さずこんなに教えて大丈夫なんですか」と聞かれることが多いけどそれは決して安くないお金をいただいているのがまず第一だから。僕がワークショップをやる理由はただガイドの真似事みたいなことをするんじゃなくて僕の撮影スタイルを肯定してくれる人たちのレベルを世界レベルに引き上げたいのが根本にある。また上から目線になっちゃってすみません。でもこういう感じで教える人が本当にいなかったから僕がやろうと思ったのが最初のきっかけではある。これまでもワークショップ自体はたくさんあったと思うけどまじやっべー風景をかっこよく仕上げるための流れがネットにあまりにもなさすぎて(最近は長押しさんや上島さんやれみさんがやってくれてるけど)学ぶ以前に調べる術がないのが現状。僕と同じようにやっていけばいいけど何年もかかったからこれをすっ飛ばして全員をある程度の水準まで持っていきたいのが狙いではあった。だからお金をいただくことにはなるけど彼らのレベルに到達するまでの道筋を僕が吸収したものに関しては全て咀嚼された母国語の日本語でみんなに伝えていきたい。

僕が色んな海外のコラムで話してることで日本の風景は素晴らしいものがたくさんあるけどまだまだ世界的に見れば認知度は低くてやっと認知し始められた発展途上のような国。もっと注目されるべきだしみんながそうなることでもっと有名になるべき自然がたくさんある。


こういう考えがあってワークショップだったりメンバーシップを始めた。個人的には数年の努力の結晶でもあるから今は有料という形にしているけど多分みんなが身につけることができれば必然と需要は無くなっていくと思う。でもまだ自分でも理解不能な仕上げ方だったり新たな表現はどんどんアップデートしていくつもり。


こうして見直してみるとほんとにこいつは上からでしか物事が言えないようなやつに見えてきた。でももし向上心が高くもっともっと上を目指したい人がいるなら僕も一緒に登っていきたいなと思ってる。


僕はあくまで僕が好きな表現で飾ることを目的とした風景を撮影して作品を作りを行なっていく。これに共感しなければ無視して良いことだし同じ考えの人が同じ方向を向いていくのが一番いいと思ってる。

1 comentario

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真下 英朗
真下 英朗
10 oct 2024
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ここ1年くらいもやもや感じはじめていたことが、言葉に表現されてて、少しすっきりしました🙌私の場合はそう思ってても思い通りの作品が撮れないのでさらにもやもやしてしまうのですが😆

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